映像化について

小説、漫画の映像化。最近はちょっとやりすぎなんじゃないか、と僕は考える。
原作(この場合小説や漫画のこと)を読んだことがあると、映像化したものを見ると、少なからず不満を覚える。

1つはシーンについて。それは映画なら約2時間、ドラマでも夜のドラマだと1クールで11時間くらいの尺に収めなければならないのだから、それは仕方ないといえば仕方ない。省略しなければならないこともあるし、強引に設定を変更しなければならないこともあるだろう。けれど、原作を愛している場合だと、「ここは絶対にあるべき」と思えるシーンさえも映像化されていないことがある。それはちょっと寂しすぎやしないか。話の本筋から逸れていても楽しいシーンや感動的なシーンはあるし、人柄を感じさせるというようなものもあることだし、映像化には限界があるのではないか、という点。

2つはキャストについて。自分が原作を読んでその自分がした想像と役者が演じているキャラクターがかけ離れすぎている。その点は番組制作する上には金銭が絡んでくるというのが、1つの理由であると思う。おおよそ番組の制作費は少ないものだから、監督が望んだキャストはすべてが出演できるというわけではない、ということ。ほかの点には原作のキャラに当てはまる役者がまったくいないということもありえるということ。概して原作には人間離れしたキャラクターが存在するし、そうでなくても役者というものがすべてのキャラクターを演じきれるわけではないのだから。やはり映像化される場合、最初に目が行くのはキャスト。それで見る人の人数も変わってくるし、質というものも決まってくる。そのキャストがそのキャラクターを演じ切れないようではその映像は面白いはずがない。だから限界があるのではないか、という点。

こういうことがなぜ起きるかと言うと、原作を用いることがお手軽であり、話題性もあるから。
決して脚本家の力量が悪いわけではないだろう。(クドカンの今回のは実によかったと思う)
しかしそれが脚本家の能力を育てていないことは事実。何もないところからはじめることはかなり難しいことであるし、時間をかなり浪費する。しかしそれから得られるものは創造的な何かではないか。
確かに、原作を映像化するのはその原作の作者への興味を掻き立てるという点では、悪いことではないだろう。しかしそれには有名すぎる作者の有名すぎる作品を映像化してもメリットはあまり多くないとは思う。

元来、人間というものは創造的であるべきだと思う。しかし、最近では原作ではなく、映像化したものを見ることによって想像的な能力を失い始めているのではないだろうか。

故に僕は映像化することをし過ぎてはよくないのだろうかと考える。